こんにちは。メタバース工学科担当教員の櫻井俊輔(しゅんしゅん)です。
今回は私の自己紹介をしますね。語ると長くなるのでまずは簡単に。
櫻井 俊輔(さくらい しゅんすけ)
ニックネームは「しゅんしゅん」です。
日本航空高等学校通信制課程 メタバース工学科の専門教員として学科の立ち上げから関わっています。
小学校6年生のときにパソコンと出会い、小6からゲーム作りを始めました。中学時代は独学でプログラミングを学び、高校時代はプログラミングやCG制作などをする傍ら、ひたすらゲームを行う毎日でした。
ちなみに、ゲームはロールプレイングゲームやシミュレーションゲームが好きです。アクションやシューティング系は苦手。
大学卒業後は、システムエンジニア(SE)⇒ 専門学校教員 ⇒ コンサルタント ⇒ 企業研修講師を経験しており、IT歴40年近く、教育業歴25年以上、コンサルタント歴15年以上の経験を持っています。
現在は、未来から「いいね」を頂ける教育活動を行い、尖った個性を尖ったままにしておける社会づくりを目指して、高校や大学などで教育活動を実施しています。
また、これからの社会を生きる上で必要なことをより多く生徒に伝えられるように、未来に「いいね」を頂ける様々な活動を行っている全国の仲間に会いに行ったりもしています。
趣味は、音楽ライブ(推し活)で月に2本以上はライブに行っています!
ちょっと固いですかね・・・
もし、しゅんしゅんに興味を持った人は以降の詳細な自己紹介を読んでくださいね。
モノづくり大好きな幼少期


しゅんしゅんの祖母とおばさんが編み物洋裁教室をやっていて、曾祖父は中学校の校長だったという教育系の家系に生まれました。小さいころはあまり大勢の人と遊ぶことはなく、一人で工作をしたり、積み木やブロックで遊ぶのが好きな子どもでした。
お絵描きも好きだったのですが、幼稚園生のときは絵を逆さまに描いていたんですよ!
なぜ、逆さに描いていたと思いますか???
実は、絵を描いているときは目の前に母が座っていたので、母から見て正しい方向で見えるように、絵を逆さまに描いていたそうです。このころから相手視点を持っていたのかも。。。
そんな工作好きな少年に大きな転機が訪れます。
ITオタクだった学生時代
それはパソコンとの出会いでした。

私が小6のころはファミコンが発売されて2年くらいたったころで、ゲーム機が流行り出したころでした。しかし、その頃の私はゲーム機を買ってもらえず、マンガとかもNGの家だったので遊びに飢えていました。
そんな中、友達から2週間だけパソコンを借りた頃があるんです。
当時のパソコン雑誌にはゲームプログラミングが掲載されていて、それをそのまま打ち込めばゲームが作れました。
おお!自分でゲームが作れる!!!!!
と感動し、工作好きだったこともあってパソコンでのゲーム作りにはまりだしたんです。
しかし、中学生のときはパソコンを買ってもらえなかったので、パソコン雑誌を見て、脳内でシミュレーションをし、独学でプログラミングを学んでいました。
結構なオタクですよね・・・
その後、高校生になったパソコンを買ってもらい、本格的にプログラミングを行ったり、CG(コンピューターグラフィックス)をやったり、音楽の打ち込みをやったりしていました。
また、小学生時代にゲームができなかった反動なのか、高校時代はひたすらゲームをやっていた記憶がありますね~
大学生のころは、少林寺拳法部に所属していたり、学園祭やスポーツ大会などの実行委員長をやったりしていました。これは今でもそうなんですが、『何かを企画する』ということも好きなことの一つです。
ITのチカラをレベルアップさせたSE時代
大学卒業後は日立系のシステム会社に就職。そこで社員さんの出勤・退勤を管理する就業支援システムの開発やお客様向けのカスタマイズなどを行っていました。当時は紙のタイムカードなどで出勤・退勤を管理している企業が多く、「アナログからデジタルへ」と転換していった時代でした。

そんな時代だったからこそ、多くの大手企業のシステム導入に携わることができ、設計から開発・導入までシステムエンジニアとしての一通りの経験をし、自分自身のITのチカラを大幅にレベルアップすることができました。
教えるチカラを基礎を築いた専門学校教員時代
20代後半には教育の血が騒いだのか、東京都新宿にある日本電子専門学校のIT教員に転身。ITに関わるほぼすべての分野の教科を担当するとともに、最終的には高度情報処理科(3年制)とオープンソースシステム科(2年制)という2つの学科の学科長として、カリキュラム作成から学科運営・クラス運営まで経験してきました。
IT系の学科でしたが、入学してくる生徒の中にはコンピューターなんて触ったことがないという生徒もいます。
そういう生徒にITの知識をわかりやすく伝えるにはどうすればよいか日々試行錯誤し、ときにはイラストで説明したり、ときには実験をやったり、ときには教材を一から作り直したりとさまざまな工夫をしたのが良い思い出です。
大変ではありましたが・・・(;^_^A
この時の経験が本校メタバース工学科の立ち上げや教材作成、学科運営の礎になっていますね。
相手視点を養ったコンサルタント時代
30代になって、より企業の課題解決ができるようになりたいという想いが生まれ、コンサルタントへと転身しました。SE⇒専門学校教員⇒コンサルタントという転身の仕方は結構珍しく、いろいろな人に興味を持ってもらえるんですよ。
コンサルタント時代は、みなさんがよく知っているような企業や官公庁のITシステムの導入プロジェクトの支援やシステム導入時の社員教育、人材育成の計画づくりや社員研修などを行っていました。
(ちょっと難しい言葉もありますかね・・・)
簡単に言うと、ITのことや社員のことで困っている企業などに行って、困っていることを解決するお手伝いをする仕事をしていました。<企業などに行って>と書きましたが、まさにその企業に出勤して、その企業の社員さんと半年間とか1年間とか一緒に働いたりするんですよ。同じ時期に複数の会社に行くなんてこともありました。
変化が好きなしゅんしゅんとしては、いろいろな会社に行くことができたので飽きない仕事でしたね。
コンサルタントはお客様が困っていることを解決するお手伝いをするので、お客様が何に困っているのか、どうしたいのかを真剣に考えます。
人って、自分が困っていることややりたいことをうまく言葉にして話すことが苦手なんですよね。だから、相手を観察し、会話を重ねて、相手が真に思っていることを見つけ出していきます。
この経験を通して、相手の視点でものごとを考えるチカラが養われ、その結果、メタバース工学科の生徒に『相手視点でものごとを考える大切さ』を伝えることができています。
人間力が磨かれた企業研修講師時代
40歳になったことをきっかけに会社員として仕事をするのではなく、独立起業して、一人社長として仕事をするようになりました。
企業で働く人向けに様々なことを教える企業研修講師という仕事を主に行い、新入社員から中堅社員・管理職・経営者まで幅広く研修を行っていました。また、幼稚園~中学生を対象としたプログラミング教室も行っていたので、幼稚園生から50代・60代の大人まで幅広い年代の人に対して教育を提供するという経験をしています。


ここまではなんかすごい人感を出して、自己紹介をしていますが、たくさんの失敗も経験しているんですよ、
40代の企業研修講師時代には人生で最も大きな失敗(挫折)をしました。
それは、自分の会社を倒産させてしまったことです。
正直、この挫折は自分自身の精神面に大ダメージを与えました。けど、この挫折を通して、自分自身に向きあい、自分の弱さやダメなところを認識し、それを改善するために努力したことでいまがあります。
失敗や挫折は苦しいことかもしれませんが、自分の人生にとって絶対に糧になることだと思いますし、失敗を経験したからこそ人間力が磨かれたなと思っています。
技術力だけではなく人間力がこれからは必要!
これまでさまざまな経験をしてきているしゅんしゅんですが、【IT】と【教育】が軸になっています。
そして、これまでの経験を通して、ITなどの最新テクノロジーはこれからの社会で生きる上で大きな武器になると確信しています。しかし、技術力があるだけでは不十分です。
デジタルが発展している社会だからこそ、相手視点でものごとを考えることができる、人と人との人間関係をより豊かに構築することができる人間力がより重要になると考えています。
技術力だけだったら、AIである程度のことができてしまう世の中だからこそ、『人間臭さ』『人間らしさ』が大切なのです。
子どものころは一人遊びが好きで、パソコンが友達だった、どちらかというと内向的な私でしたが、いまは多くの人と関わり、ソーシャルファミリー(社会的な家族)のような仲間もたくさん作っています。
それは、これからの社会において人と人との関りが大きな資産となると考えているからです。
また、そのように関わっている大人たちは、本当に人生を楽しそうにしています。
このような大人がいること、そして、こういう世界観がこれからの社会において重要であることも子どもたちには伝えていきたいと私は考えています。
未来から「いいね」を頂ける教育活動を行い、尖った個性を尖ったままにしておける社会づくりを目指して、これからも日々邁進していきます!!
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